500年の歴史、会津が誇るブランド「会津身しらず柿」【福島県会津若松市/AIZU-YA-JAPAN】

簡単にまとめると

長い歴史を持った会津のブランドとして名高い「会津身しらず柿」
名前の由来は「親の枝を折りそうなくらいに身の程知らずの大きな柿」
昔ながらの伝統的な渋抜き方法で、日持ちがしやすいのが特徴

日本では有名な盆地のひとつ、会津盆地。寒暖差の激しいこの会津若松市で伝統を守りながら日本に誇る柿を育てているMATSUO柿園の井関松夫さんのもと、会津のブランド柿「会津身しらず柿」がどのように育っていくのか、1年をかけて取材しました。

雪の残る中、シーズン始動

まだ雪が消え切っていない3月上旬、シーズンの最初の作業が始まります。最低気温はマイナスになることもある日々、雪解けで足元はぬかるみだらけの中、まずは枝の剪定作業から始めます。雪の重みで折れてしまった枝や、枯れてしまった枝、将来的に大きな実をつけるときに邪魔になりそうな枝を払い落していく。


「柿の木の剪定は収穫作業を考えて、上に伸ばすのではなく、横に伸ばすことを考えます。剪定を怠ってしまうと背の高い柿の木になってしまいます。」

白くて可憐な柿の花が咲き始めました

5月上旬、ようやく霜が降りなくなり会津の春がやってきました。樹々が芽吹き、周辺農家も田植えや種蒔きを始める頃、身しらず柿の木にも蕾がつき始めます。


「蕾がついてから6月にかけて摘蕾(てきらい)と摘花を行います。柿の実を「会津身しらず柿」として出荷させるために余分な蕾や花を間引いて摘み取るとても大事な作業です。」


出荷用の実を大きくするために、樹木の先端に1つだけ蕾を残していきます。画像は摘花前のもの。先端にはたくさんの花が咲いているのが分かります。

夏の太陽を浴びながら、すくすくと育って

7月、まだ青く若い実は太陽の光を浴びて大きく、肌はつやつやとして美しく育っています。この段階でも見回りは行い、他の実にぶつからないか、枝に当たらないかをイメージしながら剪定や摘果の微調整を行います。

9月に入ると気候も安定し、実はさらに大きく、徐々に色付きはじめます。同じ集落の柿農家さん達と協力しながら、肥料散布などを持ち回りで行っていきます。


「下記に晴天が多いと甘みの強い柿になります。夏の天候次第で収穫時の実のつき方も変わるので、この時期は天気が良くなることを願いながら作業しています」

手塩にかけた美人の柿を一つ一つ収穫作業

10月下旬、いよいよ収穫作業がやってきました。名前の由来になっている通り、「親の枝をも折りそうなくらいの身の程知らずな大きな柿」に育った柿たち。中には地面すれすれまで重さで垂れ下がっている枝もあります。

色づきや大きさを見ながら、一つ一つヘタの先まできれいなオレンジ色に色づいているか、細部まで確認しながら収穫をしていきます。柿は傷つきやすい果物なので、軍手をはめて優しく丁寧に背中に担いだかごに入れていきます。

2週間かけてじっくり渋抜きをし、柔らかくなりにくい日持ちのする柿をお届けします

身しらず柿は渋柿のため、渋抜きの作業を要します。近年では手軽にできるエチレンガスや炭酸ガスでの渋抜きも増えてきましたが、MATSUO柿園では伝統的な専用焼酎でじっくりと時間をかけた渋抜きを行っています。専用焼酎での渋抜きを行うことで身しらず柿の特徴である”とろっとした甘み”がより引き立つのだそう。使用する焼酎は、会津で長い歴史を持つ「花春酒造」さんの焼酎。


「うちでは昔からこれで渋抜きをしているんだ」


専用のはかりでサイズ分けをし、コンテナに敷いた新聞紙の中にきれいに柿が並べられていく。段ボールに新聞紙を敷いて柿を入れるところもある中、コンテナを使用するのは、こちら方が通気性があってうまく渋が抜けて、さらに長持ちもするからだとか。

きれいに並べられた柿に花春酒造の焼酎を回しかけ、新聞紙のみで蓋をする。

この状態で2週間ほどかけて渋を抜いていきます。この時の湿度と温度管理も大切で、試行錯誤した結果、母屋のリビングが一番適していたとのこと。この時期はリビングにコンテナが高く積み上げられているそうです。


「2週間後、渋が抜けたら開封してひとつひとつ検品をして、箱に詰めていきます。届いた時にがちょうど食べごろが来るように逆算して発送しています。」


到着後、すぐに美味しい柿が食べられるのはMATSUO柿園さんの特徴でもあるといえます。黒くできたスジが焼酎で甘く渋抜きされた証拠!カットした断面は鮮やかなオレンジ色がとても美しく、口に運ぶのが楽しみになりますね。伝統の渋抜き方法で丁寧に作られた自慢の柿を是非、お楽しみください!